ボンデージファッションとボンデッドな女性の洋服とは明確に違うものと認識しているのですが、サディステックな女性の格好はやはり挑発的で素敵です。 枷をハメるために機能的である為のボンデージ機能に特化した拘束衣には独特な機能美もあるのですが。 私の好みは、やはり拘束する側の挑発的なファッションが気になってしまいます。
亡くなった、マックイーンさんのデザインする洋服には挑発する側を意識したデザインが数多くありました。 2年前の秋冬コレクションを眺めていて、彼はマゾヒストであったがゆえに挑発するデザインに渇望して、洋服を作り続けたんじゃないかと考え至ったわけです。
ならば、ヴィヴィアン・ウェストウッドはサディストであるからこそ、体の自由を奪う機能に焦点をあてて洋服を作り続けているんじゃないか..。
体の自由を奪う、奪われる。 その関係性や行為のみでなく、記号としてのファッション的なボンデージという世界観。 そういった些細なことに心を惹かれてしまいます。
文章として、非常に退屈な文章を記述してしまいました。 じつは、こんな事を考えていたのはクールビズが始まってしまって、シャツにパンツという色気のない服装の季節に突入してしまったことを肌で感じてしまったからだったりします。 スーツを着て、結び目に手を置いてネクタイの細い紐を引くと首が締まってしまうという緊張感が無い、非常に退屈な日々が非常に憂鬱です。
やはり、生活は危険と隣り合わせぐらいが素敵なんだと実感しました。
退廃ですか…?なんかその場合は、目の前で切ってしまう方がいいですよね?服。愚かだって
返信削除「愚かだ」と言われて躊躇なく服を切られてしまったら、自分の中の何かが音を立てて崩れてしまいそうです...
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